2月のQueer+s MOVIE Night第53回「シカゴ」(2002年 米国映画)についての評論です。
解説ナビゲーターは、とおる氏です。

第53回 2月8日(水)「シカゴ」(2002年 米国映画)
第53回 2月8日(水)「シカゴ」(2002年 米国映画)

【作品解説】
この 作品の 舞台は 1924年の アメリカ合衆国・イリノイ州の シカゴです。 アメリカは 当時、禁酒法時代で、前年の 1923年に 伝説の マフィア・アル=カポネが この イリノイ州に 本拠を 移したところでした。つまり、この お話は 禁酒法時代、アル=カポネの お膝元で 起こった お話というわけです(作品成立の 事情については 下の 項目を 参照のこと)。
1920年代の アメリカは、第1次世界大戦勝利後の つかの間の バブル狂乱時代で、「黄金の 20年代」とも 「狂乱の 20年代」とも 呼ばれています。この 年の 大統領選挙では、史上初の 「劇場型大統領選挙」を 行なった カルビン=クーリッジが 当選し、ホワイトハウスで アメリカ大統領として 初めて ラジオ演説を するなど、報道と エンターテインメントが グチャグチャに なる 時代が 始まりつつありました。1918年からは 女性にも 参政権が 認められるように なりましたが、公職への 選出は まだ 認められず、当時のイリノイ州では、「若くて 美人の 殺人容疑者や、『女らしい』 女性の 殺人容疑者は 無罪になる」というような 「男目線の 女性尊重」が 横行していた 時代でした。そうした 実態を ユーモアたっぷりに 皮肉り、
描き出したのが この 『シカァ
イ』という 映画です。
一方で、禁酒法など、妙に 潔癖な ピューリタニズムが 横行しており、又、モルモン教への 偏見が まかり通っていた 時代であることも、この 映画を 見ると よく 分かります。
この 作品の 魅力は 何よりも、「ミュージカル」という 形式の 持つ テンポや 可能性を フルに 生かしきっている 点でしょう。本来、殺人・裁判……といった 重苦しい 話題(作品内には 死刑執行の シーンまで 有る)であるにも 係わらず、そうした 「重苦しい」 場面を 直接的に 描くのではなく、歌と ダンスで 見せることで、テンポが 良くて コミカルな 作品に 仕上がっています。又、従来の ミュージカルには しばしば、「登場人物が なぜ 突然 高らかに 歌い出すのか 分からなくて 不自然」という 欠点が 有ったのですが、この 作品は、通常の 演技で 見せるのが 「現実世界」、歌と ダンスで 描き出されるのが 「登場人物の 心象風景」と、それぞれの パートの 役割分担が 明確です。逆に 言うと、歌と ダンスで 描か
れている !
シーンは、あくまで 登場人物の 心の 中の 風景ですので、『作品内の 現実で 有った 事』ではありません。
ただ、だとすると、この 作品の 最後、主人公たちが スターに なり、舞台の 上で 華やかに 歌って 踊る あの シーンは、「本当に 有ったこと」だったのか、という 疑問が わいてきます。「歌って 踊ること」が 不自然ではない シチュエーションなので、必ずしも 「主人公の 心象風景」だと 断じることは 出来ません。けれど、ひょっとすると、一見 「ハッピーエンド」風の あのシーン、主人公が もう 一人の ヒロインから、「コンビに ならないか」と 声を かけられた 時に 頭に 浮かんだ 妄想にすぎなかったのではないか……。そんな 不吉なことまで 考えさせられてしまうような 不思議なラストだと 言えるでしょう。

【作品の 成立事情】
この 作品は、1924年3月11日に 起こった キャバレー歌手・ベルヴァ=ガードナーによる(と 目された) ウォルター=ロウ氏殺人容疑事件と、同年4月3日に 起こった 簿記・ビューラ=シェリフ=アナンによる(と 目された) ハリー=カルステット氏殺人容疑事件、及び 両事件の 裁判を 基に 制作された ミュージカル映画です。(なお、二つの 殺人容疑事件は いずれも 被告女性の 無罪が 確定しています)。
シカゴの 地方新聞・『シカゴ・トリビューン』紙の 女性記者で、当時、両事件を 取材した モウリン=ダラス=ワトキンス女史が 執筆した 脚本が 原案となっています。
モウリン=ダラス=ワトキンス女史は 熱心な プロテスタント信者で、アメリカ・バトラー大学の 古典ギリシャ語研究クラスを 首席で 卒業した 才女でありました。大学院でも 聖書の 研究を 続けるため、一旦は マサチューセッツ州の ラドクリフ大学大学院の 古典ギリシャ語クラスに 進学しました。しかし、ギリシャ語古典を 研究するうちに 演劇に 興味を 覚え、自らも 演劇の 脚本を 書きたいと 思うようになった ワトキンス女史は、ハーバード大学で 英文学教授を 務める ジョージ=ピアス=ベイカー教授の 脚本執筆ワークショップに 参加しました。この 事が 彼女の 人生の 転機と なったのです。
当時、ベイカー教授は 生徒たちに、より 良い 脚本を 書くために、まずは 広く 社会を 知り、職業経験を 積むことを 奨励していました。この 教えに 従い、熱心な プロテスタント信者であった ワトキンス女史は 1924年初頭に、当時、禁酒運動を 熱烈に 推進していた 『シカゴ=トリビューン』紙に 飛び込み、記者に なりました。
在職中、ワトキンス女史は 二人の 女性による 殺人(とされた) 事件 及び その 裁判の 顛末を 取材し、コラム を 発表。滑稽で 皮肉がきいた その 文体は 民衆の 興味を 引き、人気を 博しました。
その後、ワトキンス女史は 脚本執筆の 学習のため、ベイカー教授の 異動先である イェール大学に 再び 入学。彼の 授業の 宿題として、本作の プロトタイプとなった、『The Brave Little Women(勇敢なる 小さな 女性たち) 』という 脚本を 提出しました(なお、日本で 『若草物語』として 有名な 小説の 原題は 『Little Women』である。つまり、[これは 酒井の 個人的な 説だが、]アメリカ人にとって この 題名は、『若草物語(勇敢バージョン)』というような ニュアンスを 持っていたはずです)。その後、ワトキンス女史は この 作品を 推敲し、『Chicago, or Play Ball』を 発表。その後も 推敲を 重ねた 脚本・『シカゴ』が 1926年に ブロードウェイで 上演されました。そして、翌1927年には 早速、サイレント映画『シカゴ』(日本での
公開タイトルは 『市俄古』)が !
$B@=:n$5$l!”$3$N 作品は 1942年に、白黒映画・『ロキシー=ハート』として リメイクされたのです(日本では 未公開)。
1960年代には、劇作家・ボブ=フォッシー氏が 『シカゴ』の ミュージカル化を 打診してきました。ですが 当時、敬虔な クリスチャンとして 福祉活動に 邁進していた ワトキンス女史は、殺人事件を 取り扱った 『シカゴ』は 「不真面目な 生き方を 美化した 若気の 至りの 作品」であったと 否定的に とらえており、ミュージカル化を 認めませんでした。しかし、1969年に ワトキンス女史が 肺癌で 亡くなると、『シカゴ』の 権利は ボブ=フォッシー氏に 売り渡されました。ボブ=フォッシー氏は 1975年に ミュージカル・『シカゴ』を 上演し、大好評を 得た。この、ボブ=フォッシー氏による ミュージカル・『シカゴ』が この 映画の 直接の 原作となっています。
なお、熱心な プロテスタント信者であった ワトキンス女史の 230万ドルを 越える 遺産の ほとんどは、福祉事業や 約20大学の ギリシャ語・聖書研究の 講座に 寄付されました

ナビゲーター … とおる
2010年代から映画評論を展開する(つい最近はじめた)。
視点は労働運動。政治運動。
しかし需要が少ないので、普通の映画評論に手を出しはじめる。
現在、金山駅南口で開催される路上ちゃぶ台では常連であり、Queer+Sでは座敷わらし的存在になりつつある新キャラ。
過去には労組の委員長やビンボーなアースデイの実行委員長なども勤めていたことあり。
好きな食べ物は牛乳と納豆とサトウのごはん。牛乳の味にはこだわりがある。
玉子はどのような形態でも食べられない(ただの偏食)。
最も好きなものはマイナー政治セクトや宗教団体などの人間集団の紆余曲折のウォッチング。
とくに幻と言われる弱小政治集団のチラシなどには目がない。

Queer+s MOVIE Night第53回「シカゴ」(2002年 米国映画)について(とおる)

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